70周年を迎えたブランパンのフィフティ ファゾムスを理解するべく僕はカンヌを訪れた。

ブランパン フィフティ ファゾムスの70周年記念イベントに参加するため、華やかさと素朴さが共存するこの街に世界中のVIPやジャーナリストたちが呼び寄せられていました。

カンヌの旧市街、ル・シュケ地区
カンヌの旧市街、ル・シュケ地区。小高い丘の上に見える時計台はノートルダム・ド・レスぺランス教会。

ノートルダム・ド・レスぺランス教会からの眺望
ノートルダム・ド・レスぺランス教会からはカンヌの街が一望できる。

時差ボケか、それとも単に早朝だからなのか、僕はまだ少し眠い目を擦りながら宿泊するホテルの前に停まっていたバンに乗り込みました。車内にはブランパン支給のお揃いのバックパックを抱えた参加者たちが、すでに向かい合うように座っています。ドライバーが無言でドアを閉めると車はすぐに走り出しました。ポケットから取り出したスケジュール表に書かれているのは「ダイビング / シュノーケリング」の文字だけ。ダイバーズウォッチの新作を発表するイベントにこれほどもってこいな体験はないでしょう。

9月のカンヌ
昼間は沢山の人で賑わうカンヌ。左端から海岸沿いに奥にずっと延びるのがカンヌのメインストリートであるクロワゼット通り。

クロワゼット通り
クロワゼット通りではブランパンのフィフティ ファゾムスの歴史を伝える写真展が開催されていた。

窓の外に目をやると昨日の自由時間に散策した地中海の海岸沿いに延びるクロワゼット通りを走っていることがわかりました。まだ早い時間だからか、昨日の人混みが嘘のようにまばらです。どこまでも続く美しい景色を横目に僕たちは車で30分ほどの場所に位置する港町カップ・ダンディーブを目指しました。

はじまりの海域
ブランパンからの招待状を受け取ったときに真っ先に頭に浮かんだのは、「なぜカンヌなのだろう」ということ。それにはフィフティ ファゾムスのルーツを辿る必要がありました。フィフティ ファゾムスの誕生は、当時ブランパンのCEOだったジャン=ジャック・フィスターの存在なくして語ることはできません。

1950年にブランパンのCEOに就任したフィスターは、自身も情熱的なダイバーでした。ある時ダイビングに熱中するあまり、ボンベの空気を使い切ってしまい、あやうく溺没しかけます。そんな苦い体験からダイバーのための計時装置の必要性を強く感じ、最初のフィフティ ファゾムスの開発に取りかかった…というところまではおそらくご存知の方も多いでしょう。

僕も現地ではじめて知ったのですが、実はフィスターはカンヌの常連ダイバーで、きっかけとなった事故を経験をしたのもカンヌの海域だったのです。つまり僕はフィフティ ファゾムスが誕生するきっかけとなった場所で実際に海に浸かり行こうというわけです。

海との深いつながり
カップ・ダンディーブへ向かう車内で、僕は昨晩ホテルで開かれたカンファレンスについて思い返していました。マーク A. ハイエック社長兼CEO、水中写真家のローラン・バレスタ氏を筆頭にブランパン オーシャンコミットメント、ゴンベッサ・エクスペディション10周年、そして地球上の生命にとっての海洋の重要性に関するパネルディスカッションが開かれました。

ブランパン オーシャンコミットメント
左から、司会を務めたHODINKEEでもお馴染みのジェイソン・ヒートン、エコノミスト誌でワールド・オーシャン・イニシアチブのエグゼクティブディレクターを務めるチャールズ・ゴッダード氏、ブランパンCEOマーク A. ハイエック氏、ゴンベッサ・エクスペディションのファウンダー兼リーダーのローラン・バレスタ氏、オセアナ(Oceana)CEO(海洋保護に焦点を当てた最大の国際的な非営利組織)アンドリュー・シャープレス氏、PADI CEO兼社長ドリュー・リチャードソン氏。(Photo: Blancpain)

個人的に特に印象に残ったエピソードは、ローラン・バレスタ氏とブランパンの出会いです。バレスタ氏は、資金提供をしてくれるパートナーを見つけるためにポートフォリオを持って2012年のバーゼルワールドでブランドブースを回っていました。「シーラカンスという素晴らしい生物について解説し、いかに挑戦的なプロジェクトであるかを伝えようとしたんだ。でも最初のふたつのブランドにはまったく相手にされなかったよ」とバレスタ氏。

「ブランパンを訪れ、マークに話しかけた。マーケティングについて説明しなければ相手にされないだろうと思っていたけど、彼だけは唯一私にそうさせなかった。そのかわりにシーラカンスのサイズや、どれくらい深いところに生息しているのかと次々と質問された。それがプロジェクトのパートナーを見つけた瞬間だったよ」

マーク A. ハイエック氏は、幼少期から海に魅了された人物で、同ブランドのブランドマガジン『ル・ブラッシュ便り No.21』のなかで言及されていますが、彼は会議室よりも海の中にいることを好むと冗談めかして話していました。ジャン=ジャック・フィスター同様に自らがダイバーであり、水中写真家であり海に情熱を捧げているからこそ、海洋自然を守りたいと真剣に考えているのです。

ブランパン オーシャンコミットメントの活動などによって支援された14の探検のうち12が政府による保護条例につながり、今では表面積にして470万km²以上の海域保護に貢献しています。「もしブランパンがいなかったとしても海洋探検は挑戦していたと思う。でもおそらくもっと自宅近くの海でやることになっていただろうね」とバレスタ氏。

その夜はPADIのドリュー・リチャードソンCEOからマーク A. ハイエック氏とブランパン オーシャンコミットメントに対して、『海洋保護におけるリーダーシップに対する生涯功労賞』(Lifetime Achievement Award for Leadership in Ocean Conservation)が贈られ幕を閉じました。